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くだらない生活と脳みそ

シンエヴァ:感想(ネタバレしかない)

シンエヴァを観てきた。
以下、自分の感情を補完するためだけに、あの日のことを以下に記す。
ネタバレしかない。
あと、クソ長い。


2021年3月14日、日曜、午前5時40分、起床。25分で支度を済ませ、2時間半近くかけて夫の車で映画館へ向かう。早朝のおかげで、思ったよりもはやく到着したため、開店前の自動ドアの前で並んで待つ。私は夫に「待ってる間、漫画版のマリの話、読んでおきなよ」と伝えて駐車場を少し散歩した。ぜんぜん落ち着かない。映画を観るのにこんなに緊張したのは初めてだった。

午前9時ジャスト、上映が開始。
いろんな予告映像が流れている間、こんなにも心臓がバクバクするものか、と驚いた。お決まりの踊るビデオカメラが出てきて、いよいよ、あの冒頭10分が流れる。先日プレミア公開された冒頭12分(追加シーンあり)の方は敢えて観なかった。すべては今日のこの日のために。
冒頭10分間が世界同時放映された日、自宅の二階で、スマートフォンの小さな画面に映る映像を食い入るように弟と二人で観たのを思い出した。弟も一緒だったら良かったのに、と少し思った。

改めて「これまでのエヴァンゲリオン」を劇場で観ることになって、感極まった。エヴァが終わってしまう、と思った。泣いてしまいそうになった。
そして、ついにマリの歌声が聞こえる。何十回も観た小さな映像の「ユーロ支部復旧作戦」。エッフェル塔が画面に映ったときのパリの人々の反応が好きで、そればっかり繰り返し観ていた。戦闘シーンがめちゃくちゃ格好良くて、はやくスクリーンで観たいと思っていた。この先の展開はもちろん知っているし、なんなら台詞だって言える。なのに、エッフェル塔を下から見上げる最初のシーンの作画を観て、呼吸が止まるかと思った。驚異的な作画量に一瞬で圧倒され感動させられた。これは、知っているのとぜんぜん違う。
私はもう泣いていた。


L結界密度の濃い赤い大地を歩く三人のシーンに切り替わってからは少し落ち着いて「隅々まで吸収してやるぞ!庵野秀明、来い!」という強い気持ちで観ていた。
はずだった。
大人になったトウジが現れた瞬間、嗚咽しそうになった。Qのサクラと同じような登場の仕方も、それを増幅させた。

私は、貞本義行が漫画で描いた新世紀エヴァンゲリオン(以下、貞本エヴァ)がとても好きだ。アニメや旧劇にはない、個々のキャラクターがクローズアップされて庵野秀明の目指したエヴァンゲリオンを貞本氏なりに表現しているのがとても好きだ。

だから、生きているトウジをみたとき真っ先に思い出したのは、貞本エヴァにあった〈3号機起動実験前日にトウジがシンジを自宅に誘うシーン〉だった。はじめこそ違えど、自宅へ誘い、料理を振る舞う姿にどうしても〈翌日死んでしまうトウジ〉を重ねてしまって泣いた。
貞本エヴァではカレーを振る舞い、トウジの爺ちゃんがシンジに対して少し説教する。シンエヴァには確実に貞本エヴァを彷彿とさせるシーンがあった。でも、トウジは生きてる。旧劇までの話では死ぬ運命だったトウジを、シンジと再会するはじめての人間に持ってくるなんて、ズルすぎる。Qでトウジの制服をクローズアップさせ、「庵野さん、やっぱりトウジは殺すんか…」と思わせておいて叩き落とすなんて、酷いよ。泣くじゃん、絶対。しかもトウジと委員長が結婚、職業医者もどき、とか。旧劇までとは違う、トウジとヒカリが救われる世界線にしてくれて本当にありがとう。この大きすぎる感動のせいで、ケンスケが生きてることに対しては「おるやんケンスケ!」って軽い感想になってしまって本当にごめん。(貞本エヴァでも生きてたからなんとなく生きてそう〜って思っていた)

ケンスケは「人のことをよく見ている子」という印象があったから、抜け殻になったシンジを想って自宅に連れて行ったと思うし、何よりアスカのためにシンジを連れて帰ったのかな、とすべてを見終えてなんとなくそう思った。なにより、大人になったケンスケが加持リョウジ化していて驚いた。みんな14年を経て確実に大人になっていた。加持さんのやってることにすごく興味を持っていたケンスケだったから、この成長にも結構納得がいった。直接的ではないものの、加持リョウジの後を引き継ぐ者のそれだった。アスカのケンケン呼びには面食らったけど、〈加持さんを好きだった〉アスカを思い出して少し納得した。

アスカは予想通りほとんど使徒になっていた。Qのラストで人間のことを「リリン」と呼んでいたし、左眼の眼帯はいつかの使徒に侵食された方の眼だったから、分かってはいたけど、つらい。
アスカが自分にとって「ここ(第3村)は護るもの」と言ったことにより、号泣。眠ってるフリ疲れる、とか、アンタ(シンジ)はまだ食べなきゃ死ぬのよ、だとか。ひしひしと、淡々と、リリンじゃない(人じゃない)ことを受け入れ(ざるを得ない)ているアスカがいて、苦しかった。所詮自分たちの運命は変わらないけど、諦めではなく全部受け入れて、残っているリリンのために、生き抜く決意をしているような感じがした。これが14年間の重みか。Qを観たとき、「なんで14年も経ってんの」って正直思ったけれど、必要な14年だった。

アヤナミレイ(仮称)はとにかくかわいかった。
「これは何?」かわいい。ツバメと戯れているの、かわいい。おばちゃんたちと仕事してるとき、めちゃくちゃかわいい。ポカポカした。仕組まれた運命に「それでもいいと思えたから」とアスカに言い放った、目まぐるしい感情の成長に泣いた。ネルフでしか生きられないと気がついて「これが寂しい?」って呟いたところは、死ぬほど泣いた。ヒカリへの置き手紙に泣いた。

シンジとの最後の会話は凄まじかった。「返すものって教わった」と、ずっと受け取ってもらえなかったS-DATをシンジへ返す。「綾波綾波だから」とシンジに言ってもらえたアヤナミのプラグスーツが黒から白になったときは震えた。私たちが愛してきた綾波レイのようになれた象徴?シンジがアヤナミ綾波と受け入れた象徴?だと思った。そして、その「綾波レイ」が目の前でLCL化。はああああ、クソッ、悔しい。
「それでもここで生きたかった」
苦しすぎる。

カメラを嫌がるアスカをケンスケが撮っていたところで、アスカは自身の死を持ってこの世界を変えに行くのだと悟る。ケンスケもそれを理解していて、最後だから、もう会えなくなるから撮影したのかな、と思った。
苦しすぎる。

正直シンジがまた壊れそうで怖かったけど、アスカと合流したシンジは正気を保てていて、とりあえず安心した。


ヤマト作戦の日、アスカが新しいプラグスーツを死装束と例えたことで「アスカが死ぬ」ことを確信した。
苦しすぎる。アスカ…。

作戦決行前にシンジに会いに行ってくれたのは良かった。そして綾波との別れを経て「少し大人になった」シンジがいた。「胸の大きな良い女」マリとの会話も良かった。キョドっているシンジを見るのも久しぶりだなと心が温かくなった。確かに自己紹介してなかった!ってちょっと笑っちゃった。あの頃はシンジのことが好きだった、とアスカが素直に伝えられて本当に良かった。マリも嬉しそうだった。これからのことを思うと私は苦しかった。


ヤマト作戦は、目まぐるしかった。その名の通り「宇宙戦艦ヤマト」だ、と思った。そして、ここから先、私の理解が追いつくか、不安だった。

アスカが13号機の前に降り立って、槍を突き立てるまで、嫌な予感しかしなかった。旧劇のエヴァ量産機のアスカ(惣流)が脳裏に霞んだ。でも、そのときは「使徒にだけはならんでくださいね」とサクラのモノマネを脳内で繰り広げられるくらいには落ち着いていた。ATフィールドを中和するために、眼帯を外し、ついにアスカが使徒化。「やめてくれえええ!」と「いっけえええ!」が入り混じった感情で、かなり高まっている自分がいた。マリがアスカを「姫」呼びから「アスカ」と呼ぶところで、苦しくなって泣いた。

そこで新たな衝撃。
アスカはクローンだった。いや、随分昔に「式波タイプ」という言葉はどこかの考察動画で見たことがあったので、思っていたよりも驚かなかった(え、あの考察ドンピシャ当たってるし…って思った)んだけれど。破でアスカが式波・アスカ・ラングレーとして登場したとき、ママのトラウマが旧劇と比べると全然描かれていなかったし、加持さんへの恋心も描かれていなかったことが疑問だったので、正直そうであってほしいとどっかで感じていたんだと思う。

13号機の中で待ち構えていたのが式波タイプのオリジナル、つまり惣流・アスカ・ラングレー(って断言していいのか分からないけど)ってことにはかなり驚いた。しかも、アスカ(式波)の口調的に自分自身がクローンであることを知っているようだったことにさらに驚いた。Qのラストでアヤナミレイ(仮称)のことを「綾波タイプの初期ロットね」とさも当然のように言ってたのは、全て知っていたから。ケンスケ宅での綾波との会話で、そうなるようにプログラムされているって言ってたあの話は、全て知っていたから。マジか。そんなアスカが自分のオリジナルに魂を持っていかれるなんて、苦しすぎる。
もうずっと心をめちゃくちゃにされてる。


シンジが初号機に乗ると言ったシーン、自ら志願したのに成長を感じた。ミドリやサクラといった他の乗員が荒ぶる中、ひとり落ち着いている姿がとても良かった。拳銃を見たときに、旧劇では使徒と戦う術しか持っていなくて、みんな人間と戦えなかったよな、とぼんやり思った。ミドリには全然感情移入できなかったんだけど(笑)サクラがシンジに発砲したところは辛かった。サクラがヴィレの乗員になった理由の一部を知れた気がした。

ミサトさんが実はずっとシンジを想っていたことを、シンジを庇った描写で改めて感じることができた。この描き方、分かりやすくてとても良かった。ケンスケから、ミサトさんはこう思っていると思うよ、とあのとき聞いていたから、シンジもあの場面でミサトさんに会いに行けたんだろうと思った。ケンスケ良いやつ。

第3村のシーンで、ミサトさんと加持さんの子どもが現れたときは声が出るくらい驚いたけど(名前一緒だからクローンかと思った)旧劇までの二人を思うとヨリを戻すのも時間の問題〜的な感じだったしな、って。ミサトさんは母親になったからこそ、Qでのシンジへの態度がああいう解りにくいものになってしまったのかも、って少し思った。

破では、加持さんがシンジに「葛城を守ってくれ」ってスイカ畑のとこで確か言ってたし、加持さんはやっぱりこうなることを全部知ってて、ニアサードインパクトを自分で止めに行ったのかもしれない。ネルフとゼーレとの二重スパイだった加持さんなら、何もかもわかって行動してそうだし。
旧劇では、加持さんが死ぬ前日、ミサトさん家の留守電に「畑を頼む、場所はシンジ君が知ってる」的なこと言ってたはずだから、種子存続の計画をミサトさんに託して、それを実行するミサトさんの構図にも納得がいった。自分は命を落としたけど、自分とミサトさんの遺伝子が混じった子どもをちゃんと残していったところとか、加持さんらしくてとても良いと思う。

シンジがエヴァに乗ることなんか分かりきっていたけど、乗るなと言われている中で乗ったのは熱かった。綾波の魂に呼びかけて初号機のところまで行く機転も良かった。髪の伸びた綾波の魂を見て、14年間ずっとシンジをエヴァに乗せないために存在していたことに泣いた。アスカの髪をマリが切るシーンはこのためにあったんだと悟る。

ゲンドウとシンジの戦闘シーン。はじめてする親子喧嘩。ケンスケが父親の墓の前でシンジに言ったことを少し思い出した。ゲンドウ(13号機)の座ってる姿がカヲル君に見えた。ミラーする初号機と13号機が戦う中、CGだったり、特撮のようなこれまでの舞台をめちゃくちゃに破壊していく演出には庵野秀明の歴史を感じたし、面白かった。シンジは槍を自分自身に突き刺すしか、アディショナル・インパクトを起こすことができないのでは?と気付いてしまって泣いた。
「父さんと話がしたい」って、はじめて父親と向き合おうとするシンジは格好良かった。改めて、ゲンドウがいかに精神的には子どもであるかということがわかった。
ゲンドウのモノローグがきちんと描かれてあったのは本当に感謝したい。それが見たかった、まである。シンジが「これは返せばよかったんだ」とS-DATを返すシーンもとても良かった。アヤナミレイを思い出した。


全てのクルーを脱出させ、シンジに槍を届けるためひとり戦艦に残ったミサトさん。旧劇で彼女は自分の息子のような存在になったシンジを生かす(逃がす)ために死んで、シンエヴァではシンジに槍を届けるために(自分の息子が生きられる未来のために)死んだから、ミサトさんはやっぱりここで死ぬのが綺麗なんだ、と思った。髪を解いて、艦長ではなくミサトとして死んだのには震えた。
「ありがとうミサトさん


シンジがミサトさんから受け取った槍で自身を貫こうとするシーン。ユイがシンジを初号機から引き剥がす。シンジの「母さんはこのときのために僕の側にいた」で、見事に涙腺が崩壊した。
貞本エヴァで、ゼーレと繋がっていたのは碇ユイの方だったから(六分儀ゲンドウはゼーレに興味を持ってユイに近付いたのでは?と冬月先生が言ってるコマがあったはず)ユイはゼーレのシナリオを知り最後にシンジを護れるようにエヴァ初号機起動実験で自ら初号機に取り込まれたのかな、って妄想して泣いた。Qでも、ユイは自ら志願して起動実験に臨んだ、って話を冬月先生が言ってたような気がする。
最後にユイの魂とともに死ぬ形になって、ゲンドウもユイに会えたと言っていいのかな、これで良かったんだろうな、と感じた。


みんなを救うためシンジが対話してゆくシーン。

シンジがカヲル君に向けて「カヲル君は父さんに似てるんだ」と言ったことで、よく分からないけどなんとなくゲンドウも救われたような気がした。加持さんに「渚司令」と呼ばれていて、まんま碇ゲンドウだったからそう感じたんだと思う。(後に友人から、カヲル=ゲンドウのクローン説orカヲル=シンジのクローン説を聞かされたので、ちゃんと理解できてはいなかったけど感覚的にその考察と同じようなことを自分も感じられていたのかな、なんて思った)
アニメの話のタイトル「最後のシ者」が、こんな形で還元されるとは。加持さんとの関係性なんてすぐに理解が追いつかなかったけれど、カヲル君はいつでもシンジの幸せを願っていた。ゲンドウなんかよりよっぽど父親っぽかった。
「なかよくなれるおまじない」
ユイの初号機起動実験の頃の、記憶が消された頃の子どもシンジとカヲル君は会ってたのかな、って妄想した。

綾波がツバメの人形を持っていたことに気付いて、「良かった」その一言だった。14年間エヴァに縛られていた綾波も、エヴァを知らない他者との関わりで成長したアヤナミも、一つの魂になって救えるんだって、すごく嬉しかった。自分との対話がなかったのは、綾波レイには過去がないからかな、と思った。

あの、いつかの首を絞めた海辺で、シンジがアスカと対話する。ボロボロになったプラグスーツを見て、惣流だと思った。式波の魂を取り込んだ惣流、どちらの記憶も持ったアスカじゃないかと思う。
シンジの「好きって言ってくれてありがとう」に号泣。素直に照れるアスカが最高だった。
「ケンケンによろしく」
はじめてアスカが救われたような気がした。
海も赤じゃなくて青かった。
第3村でアスカが言ってた「ガキに必要なのは母親でしょ」の言葉も一緒に理解した。アスカは母親のようにはなれないし、彼女は父性を求める人だから、シンジではなくケンケンに惹かれた。
「ただ頭を撫でてほしかっただけ」
自分との対話のシーンでアスカの人形からケンケンが出てきて、「アスカはアスカだ」と、小さなアスカの頭を撫でた演出、むちゃくちゃ良かった。良かったね、アスカ。

マリがシンジを迎えに来た。冒頭10分の台詞も回収。私は一瞬で気付いてしまった。破のラスト、ビースト化して挑んだ戦闘でレンズが割れたはずの「碇ユイのメガネ」をマリはかけている。「君、Qからずっと上開いてるフレームのやつ着けてたやん…マジか…」って頭悪い脳内ツッコミかましてた。分かると思うけど、私はもうずっと泣いてる。苦しい。
何度も言うように私は貞本エヴァファンなので、マリの眼鏡は絶対キーポイントになると思ってて、これは完全に個人的な希望だったんだけれど…ここで持ってくるのか…って震えが止まらなかった。ユイの代わりにこれからはシンジの側にいるのはマリなんだと、一瞬で理解した。かなり納得。マジでぶっ刺さった。

冬月先生とマリの話。
これは完全に終わってから、友人や弟から考察を聞いて知って、私が勝手に思ったことなんだけれど(映画館での私は完全に「冬月先生、なんて?もう一回言って?!」状態だった。Qでも思ったけどあの人の喋る内容難しいんだわ。)冬月先生がマリのことをマリアと呼んだのは旧約聖書マグダラのマリア聖母マリアの両方の意味を持ってるんじゃないかと思った。貞本エヴァで描かれていた〈ユイの幸せを願う〉マリだから、妻であり母である彼女がこれからはシンジの側で「生きて」いくんだと思う。だから冬月先生は彼女をマリアと言った。マリはずっとシンジのマリアになるつもりでエヴァに乗ってた。冬月先生はきっとそれを知っていたんだろう。「君の望むものは用意できてる」的な言葉があったし。実年齢からしたら母、エヴァの呪縛による見た目からしたら妻、になるんだもんな。これは完全に希望的観測。マリ大好き。


エヴァのない世界のレイとカヲル君は、ユイとゲンドウみたいだった。もしかしたら、渚カヲルはゲンドウ自身の理想の姿を表してるのかもしれない、なんてふと思った。

アスカは端の方で一人。使徒に侵食された身体はどうなったんだろう。13号機と対峙したとき、式波の身体は消え、魂だけが惣流に取り込まれたとするなら。あの姿は式波の魂の入った惣流であって欲しいと思った。

マリがシンジに目隠しをして言った台詞に対して、シンジが恥ずかしげもなくその言葉に「かわいい」と返してることで、彼が本当に大人になったことが分かって嬉しくなった。声が緒方さんではなく神木くんになっていたのはエンドロールで知った。あのときは、全然気付けなかった。マリの眼鏡がまた別のものに変わっていたのはもちろん気が付いた。やっぱり、あのマイナス宇宙と呼ばれていた精神世界でかけていたのは母親の象徴だったんだろう、と改めて思った。DSSチョーカーを外す行為は、エヴァの呪縛から解き放たれたことを示唆してるのかな。

現実世界(実写)の中にシンジやレイたちがいるのは、何かの比喩なんだろうか。


エンドロール、One Last Kissが流れて、Beautiful Worldへ切り替わったときにまた泣いた。このまま終わってくれるな、と思った。「総監督 庵野秀明」の文字がフェードアウトし、終劇。劇場の明かりがついた。
エヴァが終わってしまった…」
もう映らないスクリーンを見つめて、数秒間止まってしまった。喪失感がすごかった。
と、同時にものすごく満たされた感じがした。瞬間の素直な感想は「違うんだけど、旧劇の終わりに似てた」だった。
Q公開時に劇場で流れた予告。シンエヴァのタイトルがずっと引っかかっていた。原因は、「エヴァンゲリオン」表記が旧劇の「新世紀エヴァンゲリオン」と同じであり新劇場版3作(ヱヴァンゲリヲン)と異なること、最後にリピート記号が付けられていること、だった。このことをずっと気にしていたから出た感想だったんだと思う。夫とは劇場でそれだけを話して、あとはただひたすら「めちゃくちゃ良かった」を繰り返した。ここがこうだった、とか、あれはああいうことかな、とか、何も話す気になれなかった。シンエヴァを見るにあたって考察動画なんかもじっくり見てきたのに、シンエヴァを見た後では自分から進んで他人の考察を見よう、という気にはなれなかった。

その日はもちろん、次の日はエヴァのことしか考えられなくて、何も手に付かなかった。
今の気持ちを言葉にして消化させることが必要だと思って、ありのままを書き殴った。あくまで感想、決して考察とかではない。あの瞬間、自分の目で見て耳で聞いて出た感情だけを補完したかった。



𝄇

追記。

パンフレットを読んでたら、インタビュー記事がみんなそろって『:序』『:破』『:Q』表記なのに気付いた。(シンエヴァは『シン・』だった)
:序
:破
:Q
:|❙(終止線)
だと思う。リピートじゃなかった。:は分けて読むんだ。ヤラレタ。
夫が早いうちから「楽譜の終わりの記号じゃないの〜?楽譜のことよくわからんけど〜」って軽く言っていたのを思い出した。ヤラレタ。



𝄇

おまけ。
【友人から「シンジ(ゲンドウ)=庵野秀明、マリ=安野モヨコ」論を聞いた話】

庵野さんがモヨコさんと出会ったのは新世紀エヴァンゲリオン(アニメ)が終わってからということをはじめて知った。今まで他人の考察を見てきて私はずっと、「ゲンドウが庵野秀明の投影で、その妻であるユイが庵野秀明の理想。その理想の人と現実世界で出会っていて、ゲンドウと同じように庵野さんはモヨコさんと結婚した」なんて勝手に思っていた。いわゆるユイ=モヨコ理論だったわけだけれど。

マリは安野モヨコだよ!なんて言われたもんだから
「マリに出会って27話に進む(破でマリとぶつかってS-DATが27曲目に進む)」
って演出が
安野モヨコに出会ってスタジオカラーを作り、旧劇までとは違う破のシナリオが生まれる」
に映ってしまって仕方がない。
思えば、昔のシンジはまんまゲンドウのそれで。私はずっと庵野秀明がゲンドウなんだと思っていたけれど、ゲンドウではなくシンジで。シンジが大人になった、すなわち庵野秀明が大人になった、ってことなんじゃ……、

なんて、妄想が膨らんでしまうな。