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くだらない生活と脳みそ

2023 B8青焼き

ブルースカイはじめた。コードが届くの待てなくてギャーギャー騒いでいたら友人から招待コードをもらったうれしい。昔のツイッターをみているみたいで懐かしくてうれしい。今は人が少ないから「くもり」と検索すれば多分みつかる。2009年とかに戻りたいよ。 │12.22

 

チバ、いきてるよずっと │12.5

 

髪の毛が伸びた。今年の夏に肩までバッサリ切ってもらって、それからそのまま伸ばしている。また腰まで伸ばしてやろうかと。小学生のころからずっと天然パーマを矯正して、真っ直ぐの髪で生きていたけど、自分の髪を少し愛そうと思う。
誕生日、お祝いしてくれた人たちありがとう。ツイッターでは多少ボヤいたけれど楽しい日々を過ごしています。 │11.28

 

もう11月か。11月は好きだ、自分と大切な人の誕生日があるから。年末の忙しない感じがなく、ただみんなすこしフワフワしている、そんなイメージ。毛布一枚じゃ、もう寒くて深夜に起きてしまうそんな毎日になった。おかげで少し暗い夢をみる。十分な睡眠がとれていないのだろう。
今年の自分の誕生日は水曜日らしい。週末は自分だけ地元へ帰るので(地元の祭りで踊るため)戻ってきたらすぐ誕生日ラッシュという慌ただしい一週間になりそう。祭りの季節のツンと寒い風を浴びるの、なんとなく心地よい。衣装が寒くてみんなで集まって暖を取るのもよい。でも今年はあたたかい祭りの季節となりそうで、頭が混乱しそう。久しぶりに地元の友人に会えるのが楽しみ。毎度のことながら、ぶっつけ本番で参加することに何の不安もない自分、肝が座っておる。 │11.1

 

昨夜観た「いちばんすきな花」に影響されて、途切れるまで書きなぐった文章が朝起きると消えてしまっていた。どこを探してもEvernoteに存在しない。確かに書いたし、保存のボタンを押してから寝た。幼いころ母親から受け取った言葉とか、卒業文集のこと、友人との別れ話、好きという言葉の曖昧さ、誰かのいちばんになりたいのに誰のいちばんにもなれないでいたこと、友情はいちばんじゃなかったこと。燻っている感情が溢れて止まらなかった。次を観られるのかわからないくらいキている。もう一度、筆を執るのも余りにも苦痛だ。来週、また観られたなら、書くかもしれない。私はいつだって誰かのいちばんになりたがっている。 │10.13

 

復讐を整理しないといけない、と思い続けながら気がついたら秋が来てしまった。もうみんな引っ越しは済んだかな。最近はここよりも名前の変わってしまったあそこになんとなくいて、でも話すことも特になくて、代わり映えのない日常を送っている。ハロウィンの季節になったのでリヴリーの世界に入り浸っている、そんな毎日。
最近の悩みは、カメムシの大量発生によりマジで家から出られないでいること。ほんとうに、ありえないくらいいる。なにかの拍子に家の中に入ってきたら、と考えると非常にコワイ。親指の爪くらいしかない虫になんでこんなに恐怖しなくちゃならないんだ!なんて言ったところで奴らは消えてはくれない。かなしい。
学生のころは良かったな、いつでも「書くこと」があった。大人になったら同じ日々の繰り返し。虫なんかのことしか書けない自分が情けない。同じことしか書けない日記なんて価値のないものだ、なんて考えるから筆が全くのらない。しまいには、自分の生きている日々までもが価値のないものかもしれない、なんて思考にさせてくる。やめてくれ。毎日笑って生きているぞ、畜生。
凪の日々を過ごしている自分だが、中でも唯一、日記として書けそうなことを話そう。2週間くらい前に、人生初のグランピングをした。大学の友人たちと一緒に。宿代が10万を超えても誰も何も気にすることなく、ただただ旅行を楽しむことができる。自分たちが大人になったことを、こんなかたちで実感することになるとは。昔は数万がキツくて、卒業旅行はケチったよな、とか、懐かしくてどうにかなりそうだった。特に時間を切り詰めて辺りを観光するでもなく、ただゆったりと流れる時間を4人で共有した。この特別を普通にしたいと思わずにはいられなかった。またこの4人で、どこかへ行くと思う。誰かが結婚しない限り。大人になるって寂しい。でも、大人になれないのも寂しい。悩みは尽きない、いくつだって、生きている限り。 │10.4

 

あやうい。定期的にバックアップは取り続けているわけだけれど、大雨や強風ですぐに接続できなくなるの、非常にあやういね。ここへ骨を埋める覚悟ではいるけれど、ナノのアカウントを消せない理由は多分これにある。
ツイッターもといXの有料化?で話題になっているね。課金システムならいいけれど利用が有料化するのであれば14年続けてきたあそこも閉じる他ない。もしサブ垢を有料化するのであれば、稀少なGIFアニメアイコンのアカウントを手放すことになる。もしもの話だけれど、そうなるときがきたら寂しいな。というか、あの子は今もウインクしているだろうか。iPadハンバーガーメニューだけなんだよね、動いてるの確認できるの。
名前の変更に回数制限がかかったようなので、気分で変なものに変更する遊びができなくなって残念。制限のことを考えたらサブ垢の名前を元に戻すのが億劫で、ずっとそのままにしている。フォロワーにはなんやこの変な名前は、と思われてそうだ。アイコンの変更にも制限が付きそうだなと思って、昨日ちゃちゃっと描いて変更してきた。メインのアイコンとヘッダー。いつも使っているアイコンを牛乳をぶちまけたデザインにしたくて以前描いたのだけれど、あんまりうまくいかなくて。昨日、描いてみっか~と思い立った18時。30分後には牛乳でできたアイコンが完成していた!もしどこかでみかけるようなことがあれば笑ってくれ。 │9.22

 

そうか、9/12だったんだ。今でも思い出すのは心の臓が止まった警告音。好きじゃなかったけれど近くにいたから、ただそれだけ。涙を流したのは虚しくなったから、隣りにいた人がかけてくれた声が優しかったから。
姉妹だから、同じ日に。向こうでは怖い顔をせず、笑って過ごしていてください。 │9.14

 

先週、車の納車日だった。と同時に、愛車N-oneと最後のお別れをした。新しい車はまた軽自動車にした。小学生のころ乗ったゴーカートのチープな感覚が忘れられなくて、初めて買う車は絶対に軽自動車が良かった。あれから10年が経ったらしい。あの頃はまだ学生だった。
テレビではじめてCMを観たとき、自分の買う車は絶対にこれだと思った。カラーを決めるためいろんな店舗に何度も訪れ、直接色を見て決めた。結局、色は黄色になった。自分の好きな色だ。どの車を見ても、自分の持っているN-oneが一番いいと思えたのは、その見た目だけではなく色が気に入っていたからだと思う。新型のN-oneの黄色は、旧型の黄色とは少し違っていてしっくりこなかった。旧型はナンバープレートと同色で見た目が最高だったってのもかなり大きい。
今回買った車には残念ながら黄色のラインナップがなくて、色は白になった。ホイールもエンブレムも黒オプションにしたから、ボディも黒にして黒ずくめカーにしても良かったのだけれど、黒い車に革シートの真夏の灼熱を知っているのでやめた。あとせっかくのかわいい顔(自分は昔からフロントデザインのことを顔と呼んでいる)が潰れてしまうので。おしり(リアデザインのこと)は黒が最高に良かったので、天井とボディのツートンカラーではなく、前後の縦割りツートンカラーも出せばいいのにと思った。売れるかわかんないけれど。最近はだいぶ暑さも幾らかマシになってきているので白の恩恵はあまり感じない。それでも革シートは暑い、と思う。格好いいので満足しているけれど。
街で見かける黄色のN-oneに思いを馳せるくらいには愛していたみたい。10年間、一緒に過ごしてくれてありがとう。 │9.1

 

ライブが迫ってきた、きんちょうで心臓がどうにかなりそう。中学のころの自分をすくってくるね。
大阪へ行くついでに冨樫展にも行ってくる、そのあとは家族旅行を予定している。7月の友人たちとの旅行のときに9月にはグランピングしようねと話をした。月1で旅行の計画、楽しい。生きる糧にもなる。そういえば7月の旅行のこと日記に書こうと思ってすっかり忘れていた。 │8.4

 

ニキビができた。代謝が悪いからなんだろうな、と思う。今の生活は3年後に響くと感じているので、久しぶりに運動でもしないとなと反省、反省。病院に行くのが一番なのだろうけれど(効果的にも金銭的にも)皮膚科まで車で1時間かかるのがしんどすぎて薬局で軟膏を買って済ませてしまった。どうせ、「ニキビですね」といわれ「薬出しておきます」で終了するだろうし。 │7.27

 

おやすみプンプンを読んだ。多分10年ぶりだ。あのころは最新刊が出るたびに、大きく深呼吸してから読んでいた。自分はサブカルクソ野郎なので、浅野いにおは全部追っている。いや嘘、全部は追ってない。最近出たのはまだ読んでない。デデデも途中。でもYouTubeの配信はたまに観てる。一番好きなのは虹ヶ原ホログラフ。ソラニン(全2巻)は1巻で読み終えたい、というきもちわるい趣味をもっている。プンプンは6巻が好き。恥ずかしい話、最終巻はこわくてなかなか買えなかった。
全話無料、七夕だけの予定が9日まで延期したらしい。おかげで全話一気読みをすることができた。読む人増えるだろうな。ソラニンの人だ~、と安易に手を出して心抉られる人も出てくるかも。ご愁傷様です、おめでとう。
あとは、NARUTOアニメを見終えた。(ほぼ)今は番外編みたいなのをしている。わからずやサスケのことをずっと好きになれなかったけれど、あの泣きそうな顔がめちゃくちゃ良かったから、すべて許したよ。大人になってから観られて良かった。ナルトのことが最初からずっと可愛くて仕方なかった。 │7.8

 

朝起きて白湯を飲む。上手に水分を摂られない自分は6時間の睡眠により枯渇した身体をゆっくり無理やり潤してゆく。 テレビの電源を点けて、ニュースキャスターの言葉を耳に入れる。

マイナンバーカード、みんな申請してる?2万ポイントをあげる、と言われていたけれど面倒くさいの方が勝って、結局申請しなかった。いろいろな問題が出ている中、保険証が後に使えなくなる、と言っていて、エー!やっぱり作らなきゃいけないのカー!と落ち込んでる。面倒くさい。
自殺幇助って、殺人とほぼ同義の扱いなのかな。自殺したい人の横でただなんにもせずに眺めているとしたら(そんなことできる人間がいるのか知らないが)それも幇助になるのかな。いじめを知りながら助けない人間と似ている気がする。
いじめってしんどいよね、やられていてもやっていても近くで見ているだけでも。部屋の中が暗くジメジメした空気になる。自分はこの世で最も嫌いな人間と最も愛している人間が家の中に混在していて、学校や職場の人間がソレの足元にも及ばなくて、いじめるほど嫌いな人間も存在せず、いじめられるほど嫌われる人間にもなれなかった。

中学のとき、特に大した理由もなくいじめられている人を助けたことがある。彼女は学校のトイレで手首を切っていた。リストカットがお洒落だと考えるバカが増えていた時期、メンヘラなんて言葉を知らなかったときだ。(この言葉自体がなかったかも)自分自身を傷つけてまで何に対して絶望しているのか、普通に興味を持った。自分の思考と嗜好の違う人間にはじめて興味を持った。彼女とちゃんと会話をしたのは、あのときトイレで項垂れているのをみつけたとき。最低で最悪のファーストコンタクトだ。
話を聞くと、もともと彼女は、仲の良い友人をいじめていたらしい。自分がいじめた人たちから報復された、ただそれだけだった。男っぽい彼女は、殴る蹴るという行動までおこして、とうとう周りから見限られたらしい。正直な話、最低な人間だった。自分がいじめられて、はじめて自分が最低な人間だったと自覚したのだと思う。普段の横柄なふるまいから気の強い人間なのかと思っていたが、ただただ心の弱さを態度で隠していたしょうもない人間だった。
担任の先生にとりあえず報告し、事態を説明。受験シーズン真っ只中の中三の冬、「ああ、塾に遅れるな」と思いながら、職員室の隣にある放送室の中で話をした。

卒業してから、「あのときは助かった、大事な時期に任せきりですまなかった」と先生に言われたけれど、自分は何も頑張ったつもりもなく、ただ、彼女のそばにずっと居てあげただけだった。話をするとかなりバカで面白い人間だということも知った。彼女がバカをやるのに笑ったりけなしたりしていた。間違いだと思う行動には叱ってやった。死にたいと嘆くときは教室で話を聞いてあげた。多分先生は、彼女を庇えば次は私がいじめの標的になると危惧していたと思う。私もそれは考えていた。人生初、自分もついにいじめられるのか、面倒なことに巻き込まれにいってしまったな~と覚悟していた。でもそれは杞憂で、なんだかんだ私のまわりには友人がいて。彼女をいじめていた人たちに私が嫌われることはなかった。なんなら今でも、街でバッタリ会うと気軽に話すし、結婚式にも友人として呼ばれた。今考えても不思議な話。なぜ、私はターゲットにならなかったのか。あの頃はちょっとよく分かっていなかったけれど、いじめても意味がない(響かない)相手なんだと周りが理解していたからなんじゃないかなと思う。いじめられる要素としては指折り数えられないくらいあると思うけれど(勉強もスポーツも人よりできたし、先生に媚びを売って成績を上げていたし、裏で平気で校則違反もしていた)そのたった一つの「いじめても意味がない」が強すぎて、誘発するかもしれなかったいじめがなかったのだと思う。あとは、いじめていた子たちは私に興味がなかっただけか、普通に私のことが怖かっただけか。私が彼女を見つけていてほんとうに良かったよね、先生。

「超」と「激」どっちが上か?という話題でテレビが盛り上がっている。平和だね。いじめとか自殺とか虐待とか、みんなそんなんやんなくていいのにと思う。どうでもいいことで笑えるようになれたらいいよね。強くならなくていいから、心に少しだけでも余裕を持てるように。余裕で笑って生きなきゃ、幸せにならない。喜怒哀楽を感じられるのは人間だけ。4つから複雑に枝分かれしたその感情たちを大切にせず、バランスが崩れ、放棄して、憎しみだけに昇華してしまうなら、それはもう鬼滅の刃の憎珀天でしょ。人間じゃなくなってしまった、かわいそうな鬼だ。 │6.28

 

海の中に沈んでゆく夕日を眺める。水面に太陽の光が反射して光る。涙が出るほどきれいだ。ここ数年の、当たり前の景色だ。でも、これはぜんぜん普通じゃない。借りぐらしのような生活を続けて、地に根を張らない生き方をして。来年はどこで生きているのかわからない、旅をしながら生きてゆく。今見る景色を大切にしよう。 │6.17

 

仕事で発表が控えているらしい母親にパワポの使い方を伝授してあげた。最新パワポはガイドが賢いのでレイアウトのスピードがめちゃくちゃはやいね。イラレほどじゃないけれど10年前のパワポからしたら圧倒的進化が見える。研究室、ケチって2013を買ってくれなくて2009ばかりずっと触っていた。就職先では2002とか2003だったので驚いたな。Officeはほとんど使わない職場だったから一度買ったきり新しくしていなかったらしい。使いづらすぎてすぐ2013を買ってもらった。懐かしい思い出。
前職では、所長が発表するためのパワポ制作は自分に丸投げ状態だったので(大学卒が私だけだった)、仕事をしていたときのほうがスライドを作っていた気がする。10は作った。自分自身が発表する機会は卒業して2度ほど。母校で論文を発表したら発表賞みたいなのをもらって、後日研究室に賞状と記念品受け取りに行く名目で、かなり遊びに行ったな。
そうだ。昨日、研究室の後輩から連絡があって、当時お世話になった助教授が教授になるらしい、とのこと。東工大の教授か~、シンプルにすごい。厳しい先生だったので周りのみんなは嫌っていたようだけれど、私は好きだった。一昨年、私の論文からスタートした研究が先生の手によって完成されたらしい。私はその論文に名を連ねていただけることになった。海外での論文発表、上手くいったってことかな。知らせをもらったとき、連名にしてくれるだなんて思ってもいなくて、とても驚いて、とても嬉しかった。「名字はどうしますか?」と聞かれ、先生との思い出の深い旧姓で書いてもらうことにした。今度、お祝いの会を東工大の生徒たちが開いてくれるみたいで、日程が合えばぜひ参加したいな、と思っている。 │6.14

 

世界への復讐のつもりだった5周年の日がやってきました。みなさん無事メール届いたかな。文字制限が500文字までなので、2通に分けてお送りしました。メールフォームにうれしいお便りありがとう。ロビーにもカキコミありがとう。5年って、すごいね。これからもよしなに。 │6.6

 

ラ、ラジオ(Hedgehog Diaries)でメールが読まれた!!!私はもうすぐ死ぬのかもしれない。運が良すぎる。ライブのチケットも当たり、ラジオでメールも読まれ?何だこれ、代償は死か?と。4人全員いるラジオで読まれる確率を考えたら奇跡としか言えない。なんにも言葉が出てこないけれど、ひとつ言えるのはライブ全力で楽しんできます!ということだけ。ラジオでも言われていたけれど、ワンマンツアーはこれでまたお休みに入りそうだし…泣くだろ、当日これ。あと、4人ラジオは毎回楽しい!爆笑しちゃった!ありがとう。 │6.1

 

朝からJアラート。ミサイルなんかに日常がぶっ壊されるとしたらたまったもんじゃない。自分じゃどうすることもできないし。この世に生まれ落ちたときから平和にどっぷり浸かっている私たちにはどうせ何もできない。世界を救う漫画の主人公にはなれない。 │5.31

 

「私は私を忘れて欲しくなくてインターネットに存在し続けるんだよな、他人にも今の自分にも」これは数年前、自分の周りの大好きなものから決別するときに、自分の頭から出た言葉。私は私を忘れてほしくない。文章を書き遺していく作業、作業だこれは。頭の中にある感情を活字にして外へ出して置いておく作業。感情的になったり強い言葉を発するときは、頭の中から放出したい、という欲がある。スッキリしたいと思うのは欲だ。でも、こうやってちまちま文章を紡ぐときは、頭の中から外部へバックアップを取ろうとしている。ただの作業でしかない。日々アップデートを続けて、変わってしまう自分をデータとして残していく作業。だから、今の自分に忘れてほしくない、なんて滑稽な言葉が出たのか。
今日は自分の大好きなバンド、ELLEGARDENのワンマンツアー当選メールを受け取った。当選した、当選したんだ!ついに。高校生の私は、自由に生きられる数年後の未来で、エルレのライブへ行く自分の姿を当たり前に想像していた。バイトをして、自分の稼いだお金で県外へとライブへ行く日々、期待していた。2008年9月、活動休止。私の夢は叶わなくなった。それから10年待ち続け、ついに活動が再開。当時、職場に流れていたラジオで知った。所長に頼んで音量を上げてもらい、仕事そっちのけでスピーカーの前で棒立ち。朝、なんとなく久しぶりにRed Hotが聴きたくなって、車で歌いながら出勤した日だった。なんという偶然、気付いたら涙が溢れていた。復活ライブは倍率50倍だったか、もちろん当たらなかった。そこからひたすらに抽選を申し込み、ひたすらに落選を繰り返していた。昨年はついに新譜が発売された。現役バンドELLEGARDENとしての再始動。全国ツアーは当たらなかった。(まだリセール諦めてないけれど)細美さん50歳の誕生日に、お祝いメッセージに添えて「次は絶対に会いに行く」と伝えた。ほんの3ヶ月前の話だ。だから、当選メールが届いたときは一瞬思考が停止した。見間違いかと思った。人は夢が叶った瞬間、「これはほんとうに現実なのか」と疑ってしまうらしい。今日のこと、多分一生忘れないと思う。この気持ちの断片を記録しよう。今の気持ちを忘れたくない、未来の自分へ向けてバックアップ。 │5.27

 

嬉しい。前サイト名をリンクは繋がらぬとも書いて残してくださっているのを見つけて、涙が出そうになった。10年のあいだ、いろんなことがあって生活の一部だった場所だから、心遣いがほんとうに嬉しい。ありがとうございます。このまま何もなかったかのように消えてしまうのが悲しくて、ランキングのはじめにのページに自分も書き残した。もう「 ̄」はハンドルネームでいいじゃん、そしたらみんな忘れないよ、とも思った。実際に、はてなブログやnoteのプロフィール名はだいたい ̄と記してある。だからここもオーナーは ̄と書いた。悲しい、と言ったが単純に忘れられるのが怖いだけなのかもしれないな。
さて、数日かけてリンクを貼ってくださっている方のところへ、メッセージを残しに行ったわけだが。なくなってしまったサイトさんの中にもリンクを繋げてくださっていた方がいたことを知っている。新たな場所で元気にされている人がいることも。今回のことがあって、個人サイトから離れてしまわれる方も少なからずいるのだろうな、と少し寂しい気持ちになった。ランキング、どうしようね。アスタリスクを付けさせてもらっているサイトさんたち、30件近くいらっしゃる。来月の6日で5周年なのにな。とりあえず、登録者さんには一斉メールをお送りしようと考えてはいる。1周年ぶりに送るね。メールの受信をそもそも拒否している方もいらっしゃるだろうし、全員には届かないけれど、時間が止まったまま消えてしまった人たちの数人にでも届けばいいよね。 │5.25

 

5月20日、祖母が亡くなった家が夢に出てきた。でも、祖母は登場しない。そこにはなぜか中学二年のときの担任が住んでいた。自分は兄弟の運転する車で、何かしらの荷物をそこから運んでいた。今は亡き、日産のファミリーカーだった。随分と昔に廃車にした、母の乗っていた車だ。彼が免許を取ったのはそれが廃車された後だから違和感を覚えた。その車で祖母の家へよく通ったから出てきたのだろう。思い出すのは祖母の亡くなった日のこと。自分はあの日のことを一生忘れないと思う。風呂の湯船を見るのが少し怖くなったのもそれからだ。でもなぜ今なんだ。命日はとっくに過ぎていて、今日はなにも関係のない日なのに。
連日、あの家のことが夢に出てくる。次の日は他人に借家として貸していた。半分自分たちが住んでいて半分を人に貸している、そんな状態。相手は彼の職場の方々、ひとつ屋根の下だが干渉はしない、そんな関係。それでも自分はお風呂にだけは入れなくて、近くの銭湯へ毎日通っていた。現実にはそんな銭湯、存在しない。今住んでいる街のように温泉が湧いたりしないただの漁師町だったから。
よくわからないがあの日から毎日夢を見続けている。登場するのは祖母の家だけではない。耳から入った記録がそのまま夢に投影される。テレビで動画を垂れ流したまま眠ってしまえば観てもいないのに内容を知っている、というのがよくある。絵は違うが誰かが言った台詞を知っている。自分の夢は外部の干渉によって更に混沌とする。身体が疲弊する代わりに何者にも成し得ない物語を紡ぐことができる。昨夜なんかは、暑くて窓を少し透かしていた。閉めなければ閉めなければ、と考えながら、夜風が気持ち良くて寝てしまった。不安感が恐怖へと代わり、ベランダから黒い影が侵入してくるという怖い映像を創り上げてしまい声を出して飛び起きた。身体は震えていた。隣ですやすや眠っていただろう彼を起こしてしまったが、恐怖で「窓閉めて」と伝えることしかできなかった。なかなか寝付けず、脱衣所やトイレ、玄関のチェーンまで確認しに行ってようやく毛布に包まることができた。
「昨日はごめんね叫んで起こして」と眠い目を擦る彼に言うと、そうだっけ?と不思議な顔をした。覚えていないの?でもあなた、手を伸ばして窓を閉めて鍵まで締めてくれたのよ。 │5.23

 

右も左もわからないけれどコミュニティなるものを作ってみました。ざっくりいえばスレッド型掲示板。スレもレスも誰でもできるみたい。別のコミュニティでしりとりスレを立てている人とかもいた、面白いね。自由帳は今までスレッド形式にしたことがないから、上手に使えるのか不安ではあるけれど。あと、デザインは色しか弄れないもよう。
掲示板の名前、悩んだ結果「ロビー」にしました。ロビーなのかラウンジなのか、使い方次第では面白くなりそうだという感想。はじめに作成した「ログ」スレだけ記入権限を付けました。なので自分しか書けません。そこでニッキを書くのか、はたまたお知らせ的に使うのか未定ですが、ちょっと使ってみます。今後も今みたいに子ページでちまちま文章を打っていくことにはなりそう。お知らせばっかりになっているのでちゃんとニッキを書きたい。今までニッキらしいニッキを書いたことがあったかは疑問です。ロビーへのアクセスはコチラからどうぞ。スレ立て、勇気がいるかもしれないけれど…お気軽に~
追記_100のことば復活しました。嬉しいな~!最下部に置いておきます。ロビー貼ったけど使わないかもね。 │5.18

 

エレベーターにある階のメーター(正式名称はなに?)を描いてみました。参考画像もなしに、ええいままよ。ファビコンもついでに作成。サイトのトップページに自作画像を貼るのはいつぶりだ?活字がダダダダと打ち込まれているだけのページを眺めるのが好きなのでしばらく記憶がない。ここは地階しか存在しないので、・は地下1階ってことになるのか。最下階8階で、コンテンツが増えたら上階へ昇ることでしょう。はじめはエレベーターのボタンを押す仕組みをcssで作ろうかと思っていたんですが、まだ中身がないのに…と思ってヤメました。思いついたこともあるので近々実践できたらいいな。いろいろいじるの楽しい。 │5.17

 

2023年5月15日、ついにアカウントを作りましたハジメマシテ。トップページはプロフィールページから飛んできて仕舞えるようなのでとりあえず今は白紙のまま、こちら一気に地下8階まで、ようこそ。サイト名は候補として「B8」としています。これもまだ未定で、自分の文章を綴る頁の名となるかもしれません。とりあえずの候補、とりあえずの引っ越しです。プロフィールページに非表示設定も後々できるようになる気がするので、ここは完全なトップページではなく文章の頁になるかもしれません。かもしれないばかりの不安定な場所ですが、ここでまたのんびり生きていけたらと考えています。.wsの好きだった機能を入れてもらえることを期待して。 │5.15


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くるしい夜とダンス
作業は多分明日以降
また元に戻すかもしれないしそのままかもしれない様子見
100のことばにも書いたけれど日時を非表示にした
やっぱり文字ばかりだと安心しますね
青焼きがあるから建物の立面図みたいな画像を作って貼っていたけれどやめた
牛乳アイコン思っていたよりも気に入っている自分がいる
海岸沿いを走るときに踊ってばかりの国を流したら涙が出た
昨日は新車で買い物がてらドライブをした
数年ぶりにハイプをちゃんと聴いて、泣いてしまった
憎珀天が出てきてびっくりした、自分で
気付いたら文章が長くなる、最後の締め方もよくわかんないね
NARUTOアニメみてる、終盤だ~!
画像ページ作ってみたけれど、扱いづらいからコピーされたくないものだけにしようと思う
青焼きになりました
なので実質、初カキコミだね 嬉しいね
以前のは、気付いたときにはもう削除されていたので…一体何が書いてあったんだろうね
ロビーの自由帳への書き込みがあった!プロフィールから飛んできたのかな~
グッズは昨日無事買えたよ
ミサイルがやってきて日常が壊されるのはいやだ
買えたのか不安…問い合わせしたけど返信ははやくて10時かな
18:00グッズを買うぞ
17歳の自分、よく待ち続けたねおめでとう
涙が出る嬉し涙が
もう運営しないよ、と言われるまで遊べたらいいな
ねむい
49字っぽい!
50文字とみてるんだけども
これって何文字までいけるのだろう
神仕様になって舞い戻ってきたとはな…
書き込むテキストボックスを管理人にだけ表示できる、ページごとに違うコメントにできる
「言葉」の漢字しっくりこないな
100の言葉復活だ!