hansuu

くだらない生活と脳みそ

かわいそうな鬼

朝起きて白湯を飲む。上手に水分を摂られない自分は6時間の睡眠により枯渇した身体をゆっくり無理やり潤してゆく。 テレビの電源を点けて、ニュースキャスターの言葉を耳に入れる。

マイナンバーカード、みんな申請してる?2万ポイントをあげる、と言われていたけれど面倒くさいの方が勝って、結局申請しなかった。いろいろな問題が出ている中、保険証が後に使えなくなる、と言っていて、エー!やっぱり作らなきゃいけないのカー!と落ち込んでる。面倒くさい。

自殺幇助って、殺人とほぼ同義の扱いなのかな。自殺したい人の横でただなんにもせずに眺めているとしたら(そんなことできる人間がいるのか知らないが)それも幇助になるのかな。いじめを知りながら助けない人間と似ている気がする。
いじめってしんどいよね、やられていてもやっていても近くで見ているだけでも。部屋の中が暗くジメジメした空気になる。自分はこの世で最も嫌いな人間と最も愛している人間が家の中に混在していて、学校や職場の人間がソレの足元にも及ばなくて、いじめるほど嫌いな人間も存在せず、いじめられるほど嫌われる人間にもなれなかった。

 

中学のとき、特に大した理由もなくいじめられている人を助けたことがある。彼女は学校のトイレで手首を切っていた。リストカットがお洒落だと考えるバカが増えていた時期、メンヘラなんて言葉を知らなかったときだ。(この言葉自体がなかったかも)自分自身を傷つけてまで何に対して絶望しているのか、普通に興味を持った。自分の思考と嗜好の違う人間にはじめて興味を持った。彼女とちゃんと会話をしたのは、あのときトイレで項垂れているのをみつけたとき。最低で最悪のファーストコンタクトだ。

話を聞くと、もともと彼女は、仲の良い友人をいじめていたらしい。自分がいじめた人たちから報復された、ただそれだけだった。男っぽい彼女は、殴る蹴るという行動までおこして、とうとう周りから見限られたらしい。正直な話、最低な人間だった。自分がいじめられて、はじめて自分が最低な人間だったと自覚したのだと思う。普段の横柄なふるまいから気の強い人間なのかと思っていたが、ただただ心の弱さを態度で隠していたしょうもない人間だった。

担任の先生にとりあえず報告し、事態を説明。受験シーズン真っ只中の中三の冬、「ああ、塾に遅れるな」と思いながら、職員室の隣にある放送室の中で話をした。

卒業してから、「あのときは助かった、大事な時期に任せきりですまなかった」と先生に言われたけれど、自分は何も頑張ったつもりもなく、ただ、彼女のそばにずっと居てあげただけだった。話をするとかなりバカで面白い人間だということも知った。彼女がバカをやるのに笑ったりけなしたりしていた。間違いだと思う行動には叱ってやった。死にたいと嘆くときは教室で話を聞いてあげた。多分先生は、彼女を庇えば次は私がいじめの標的になると危惧していたと思う。私もそれは考えていた。人生初、自分もついにいじめられるのか、面倒なことに巻き込まれにいってしまったな~と覚悟していた。でもそれは杞憂で、なんだかんだ私のまわりには友人がいて。彼女をいじめていた人たちに私が嫌われることはなかった。なんなら今でも、街でバッタリ会うと気軽に話すし、結婚式にも友人として呼ばれた。今考えても不思議な話。なぜ、私はターゲットにならなかったのか。あの頃はちょっとよく分かっていなかったけれど、いじめても意味がない(響かない)相手なんだと周りが理解していたからなんじゃないかなと思う。いじめられる要素としては指折り数えられないくらいあると思うけれど(勉強もスポーツも人よりできたし、先生に媚びを売って成績を上げていたし、裏で平気で校則違反もしていた)そのたった一つの「いじめても意味がない」が強すぎて、誘発するかもしれなかったいじめがなかったのだと思う。あとは、いじめていた子たちは私に興味がなかっただけか、普通に私のことが怖かっただけか。私が彼女を見つけていてほんとうに良かったよね、先生。

 

「超」と「激」どっちが上か?という話題でテレビが盛り上がっている。平和だね。いじめとか自殺とか虐待とか、みんなそんなんやんなくていいのにと思う。どうでもいいことで笑えるようになれたらいいよね。強くならなくていいから、心に少しだけでも余裕を持てるように。余裕で笑って生きなきゃ、幸せにならない。喜怒哀楽を感じられるのは人間だけ。4つから複雑に枝分かれしたその感情たちを大切にせず、バランスが崩れ、放棄して、憎しみだけに昇華してしまうなら、それはもう鬼滅の刃の憎珀天でしょ。人間じゃなくなってしまった、かわいそうな鬼だ。