hansuu

くだらない生活と脳みそ

嗚咽する少年たち

1989年のアメリカ映画「いまを生きる」を観た。正確には、観させられた、というのが正解だ。教員免許を取得するために、ゼミのみんなとの旅行を蹴飛ばして、私は教室の机に座っている。教授の自制心を保つために、真面目な生徒のふりをして、これを書いている。そんな退屈としか言いようがない授業の中でも、映画を観るとなると少し興味が沸いた。

「医者の息子は医者にならなければならない。政治家の息子は政治家にならなければならない。弁護士の息子は弁護士にならなければならない」

規則でがちがちに縛られた由緒ある家柄の少年たちがキーティングという教師に出会い、自由というものを知って動き始めるお話。生徒のニールという少年が親に内緒で役者を目指すことを決意するのだが……夢が叶えられない自身の縛られた未来に耐えられなくなって自殺してしまう。

 

「ニールが死んだ」

役者になりたかった彼が、医者になれとしか言わない父親に対して最期の足掻きを決断した夜、なぜ家を飛び出して、先生に会いにいかなかったのか。なぜ、死を選んだのか。私にはわからなかった。

私の両親は自分の好きなように生きろと言ってくれる。しかしそれが開業していないから跡継ぎが必要ないからだというのはわかっている。それでも、そういってくれることがどんなに幸せなことか。

彼の死を嗚咽するくらい泣く彼の友人の気持ちが痛いほどわかって、こちらまで泣きそうになる。頭の硬い大人にはわからない。こどもを家来にしているだけの人間には。キーティング先生みたいな教師がいたらもっと夢を語れるこどもが生まれるだろう。なのに、そういう能力のある教師は学校から排除されてしまう。ラストシーンの、生徒たちが机の上に立ち上がったのにはワクワクした。みんな、すごくいい顔をしていた。