hansuu

くだらない生活と脳みそ

自分は「自分」をつくるのが本当に上手い。

と、自画自賛する。自嘲とも言えるかもしれない。好きな人の前、恋人の前、家族の前、上司の前、同僚の前、昔の友人の前、それぞれに別の「自分」が存在する。忘れてはいけない、インターネットの中の自分も、だ。けれどそのどれもが微かに自分自身であり、全てが自分とは違っていた。インターネットで好き勝手に生きている自分が本当の自分なんだ、と胸を張って言える気がしない。最近は特にそれが顕著だ。限りなく近い、また別のモノのように思える。数学で言うところの「漸近線」に当たるような、これ以上しっくりくる上手い言葉も見つからない。TwitterInstagramSNSなどというものはエンターテインメントに過ぎない。言ってしまえば半分ネタ。そうやって生きていく方が楽で愉しいのだから。

 

去年が終わる瞬間、2018年12月31日23:59に送ってくださったメールの中にあった強い意志に共感した。と同時に、自分とは少し考え方が違う、とも感じていた。狙って送ったのかは分からないけれど、2018年が終わる最後の60秒間のうちに送ったこの方は、かなりセンスあるなと思った。いいね。しっかり届きました。この記事を読んでくださっているのかは分からないけれど、あなたの紡いだ言葉は隅から隅まで目で刺した。ズブズブと音が鳴るくらい。自分がもう少しだけ不器用だった頃、全てに全力で向かっていたあの頃、みんなと同じ服を着ていたあの頃、似たような感情を持っていた。

 

日本人は多数決が好きで、同意同調を重んじる国柄だから、みんながしているからという理由で自己を殺してしまいがちだ。波風立たないように生きていくにはそれが一番手っ取り早い。多くの人が思っているのだから、そう生きていくのは仕方がない。本当にしょうもない。自分はそれについて未だに嫌悪感を抱き続けている。なのに、未だに波に逆らって生きられないでいる。人の目は気にしない、それをゼロにはできない。「世間体」。この世で唯一嫌いだった人が1番気にしていた言葉だ。1番嫌いだから、自分は1番気にしてしまう。それでも自分を変えたくて仕方がなかった。結局、いつになっても変われなくて、今もそれに縛られている。

本当にしょうもない。