hansuu

くだらない生活と脳みそ

名前なんてただの記号でしかない。

誰に呼んでもらうかで漸くその価値が出てくる。今までたくさんの渾名をたくさんの人に付けていただいて生きてきたけれど、そのどれもが愛おしくて自分の思い出となっている。
自ら付けた名は、自分の子のように思えるけれど、それはただ、自分を示す記号であり、分身である。しかし、そのどれもが本当の自分ではない、そんな気がする。

初めて付けたハンドルネームを、今でも覚えている。中学生になってはじめて友人とオンラインゲームをするために付けた名前だ。教室の教卓の上に置かれていた熟語辞典。パラパラとページを捲って、目にとまった熟語をそのまま使った。奇跡に近い出会いをしたその熟語は、初めて付けてもらった渾名に似ていて、友人からも好評だった。

二度目に付けた名前はブログを始めるとき。友人に見せるようなブログではなかったから1つ目とは違う名が欲しかった。今は亡きヤフーブログ、初めてのブログ友だちは10歳程上の尾崎豊が大好きなお姉さんだった。

そこから高校生に上がるころ、エムブロに出会った。高校生から大学生になるまで、随分とお世話になった。あのころはヤフーブログで使っていた名前に合わせて、当時仲の良かった(今でもたまにSNSで連絡を取る)1つ下の友人と共同ブログを作った勢いで、名字を作って使っていた。(高校では名前ではなく名字で呼び合うのが何故か流行っていた)出会う時期によって名字しか知らない友人がいたり、逆に名前しか知らない友人もいたりするの、現実世界のようでとても面白い。

今使っている名前を作ったのは、大学に入って暫くしてから。2回生になったくらいだったと思う。スマホが普及して、普通の人もTwitterをするようになってしまったから、また別の名前が必要だった。本名には掠りもしないけれど意味を知ったら覚えてくれるような変な名前になった。それからずっと気に入っていて、何かのときには使うようになってしまっている。これまでのハンドルネームの中では一番「記号感」が強い。というか最早自分の中では記号という認識でしかないのかもしれない。あの「アイコンの名前」と言ってしまっても過言ではない、寧ろソレがとてもしっくりくる。

サイトで名を伏せて「管理人さん」と呼ばれるのも結構気に入っている。いかにも「匿名」感が出ていて面白い。名を伏せている理由は、SNSとは分離させたいかな、という曖昧な理由(そんなに思ってはいない)と、昔の名の方がしっくりきている古株もいるだろうしな、という酷く適当な理由だ。ただ、自分の中では一つ前の、フルネームで呼ばれていた自分として、文章を綴っているような気がしている。

というわけで、名前は本当にただの記号でしかない、という話でした。皆、どういった経緯で、自分に自分の名を付けてやるのだろう。